鈴木先生【感想&考察】

鈴木先生【感想&考察】

漫画からドラマ、更に映画まで出た【鈴木先生】。
どのエピソードも非常に興味深く、考えさせられるものでした。
その中でも僕が印象に残っている部分の感想や考察について書いていきたいと思います。




タイトル通り教師を主人公とした青春?ドラマなので最初の印象は
GTOみたいなものかなぁ・・・だったのですが、一話を見てそれが違うと確信しました。
現代の教育の根底にあるもの、それだけでなく世間の一般論に流されようとしない
確固たる教育の考えを持った【鈴木先生】がそれを青春真っ盛りな中学生に伝えていくというのが
エピソードの主な流れです。

現代の問題児は不良だけではない

実際、これは周知の事実だと思います。
不良が全盛期の時代はそれがメディアで大々的に報道されてきたのでしょうが
現代ではそういった人よりもいじめ、不登校、自殺など一風変わった生徒たちの報道が目立ってきています。
本編では密かに刃物を持ち込む、給食中にエグいことを言う、性への意識が他と違う
など目立った生徒でなく【何か】を抱えた生徒達に主軸を置いています。
不良などは全く出てきません。基本は皆真面目な生徒達なのです。
これは正に、【鈴木先生】は今目立ち始めている問題児達をテーマにした現代の青春ドラマであるといえるのではないでしょうか。

鈴木先生の教育方針

鈴木先生は前章のような【何か】を抱えた生徒の【何か】を最期まで気づかなかった過去から
自分なりの教育方針を固めていきました。
【どの生徒にも平等に】
目立つ生徒ばかりに気をつかって真面目な生徒に関しては放置に近い今の教育(望んでそうなったわけではないのでしょうが)に意義を唱えるような考えだと思います。
真面目だからといって悩みがないなんてことはないんです。
欲求、不満を抱えながらも直接伝える事ができない生徒は真面目を【演じ】ているだけで
気づいてくれるのを待っているかもしれません。そしていつしかそれを最悪な形で
周囲に伝えてしまうかもしれません・・・。
鈴木先生はそういった事に気づくためにクラスの生徒の一挙一同をしっかり観察し
問題を解決しようと動きます。しかしそれでいて自主性を損なうような真似はしません。
もっとも、鈴木先生が教えていた生徒のその後は一切明かされていないため
鈴木流教育術が成功したかどうかはわかりませんがこういった姿勢は現代において重要だと思います。

映画の主人公は教育の犠牲者?

鈴木先生の映画版で事件を起こした二人の青年は中学時代、真面目で
先生の言う事をしっかり聞いていた優等生でした。しかし前述した通り
だからこそ放置され、人生に失敗し挙句にはあんな事になってしまいました。
逆に不良は人生に成功しているという描写もありました。
両者の違いはなんでしょうか?
僕はそれが、自分をしっかりと受け止めてくれる、理解してくれる人の有無なのだと思います。
そしてその有無を決める要素は、外にオープンか否かです。
自分から全てをさらけ出せる人はそれこそ【目立つ人】になれます。
自分を受け止め(教師)、理解してくる人(親友)も多くなるでしょう。
しかし一方、さらけ出せない人は【目立たない人】になります。
目立たない = 真面目
こうしてそのまま真面目を演じる事になるのです。
さらけ出さないということは誰かが引っ張りださなければいけません。
そしてそれこそが教師の役割の一つなのではないでしょうか。
目立たない(真面目)から放置するのではなく自分をさらけ出す術を知らないなら
それを教えてあげるべきなのではないでしょうか。

終わりに

本当に生徒を正しい道に導きたいと思う先生は沢山いると思います。
けれどその中には考えが偏りがちだったり、どうすればいいのかわからない方も多いことでしょう。いじめ、不登校、自殺などの問題を考える時は現代の子供がどーたらこーたらではなく、子供を教える側についてより深く考えていく方がもしかしたら解決の近道になるのかもしれない・・・
と思った教育事情のあれこれを知らない僕でした。

【鈴木先生】はこんな僕にも色々と考えさせてくれたその内容の深さだけでなく
シナリオもとても面白く子供から大人まで是非皆に見てもらいたい映像作品でした。
可能ならば続編でもやってくれませんかね・・・笑。








 

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